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2008年9月 8日 (月)

昭和の鉄道の思い出1 電話

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前日のブログで昭和は遠くなったという話をしたので、今回は私が鉄道旅行を始めた昭和50年代と今との鉄道にかかわる社会の移り変わりをお送りしたいと思います。ます1回目は電話の話です。

昭和の頃は携帯電話もなく、外で電話をかける場合は必ず公衆電話でした。長らく10円玉しか使えない赤電話が中心でしたが、これだと長距離通話をする場合は、10円玉をたくさん用意しならず、非常に不便でした。その後、100円玉も使える黄色い公衆電話が現れ、長距離通話には便利になりましたが、100円玉でかけたときはお釣りが出ないのが難点でした。宮脇俊三さんの「最長片道切符の旅」の中でも、黄色い公衆電話で家族に連絡するくだりがでてきます。その後、テレホンカードが使える緑色の電話ができて、硬貨を持ち合わせる必要がなくなり、大変便利になりました。また、テレホンカード自体も様々なデザインのものができて、カードを集めること自体も趣味の一つになりました。

電話機自体の変遷はあるものの、どちらにしてもこちらからかけなければ、旅行者と連絡する手段はありませんでした。連絡がつかないほうが、かえっていいこともありますが、やはり家族に何があるかわからないので、旅行中は1日に1回程度は自宅に電話したり、旅行中の滞在先のメモを残しておいたりする必要がありました。種村直樹さんの「さようなら国鉄最長片道きっぷの旅」では、著者の旅行中に父親が死亡し、国鉄バスで旅行中の著者に国鉄本社経由でバス運転士に連絡が入る場面があり、国鉄ネットワークのすばらしさを伝える記述になっていますが、緊急の場合はこのような形で連絡しなければ、旅行中はまったく音信不通状態でした。

今は携帯電話で全国どこにいても瞬時に連絡がつく時代で便利になりましたが、旅にいてもいつ連絡がかかってくるか分からず、逆に落ち着かない時代にもなりました。

上の写真は昭和の代表的光景である「ちゃぶ台をひっくり返しながら星飛雄馬を殴り飛ばす父一徹」です。

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コメント

結構まめだね、一日中、電話に追われるのもいやなものです。携帯は便利でも使われなければ意味はない・・。イタ電や迷惑メールも困ったものだ。電話も架かって来ないのんびり旅がいい。

ヒロさん、ありがとうございます。電話に追われてお仕事大変そうですね。今はどこにいても電話がかかってくるので、ゆっくり休んだ気になれないですね。技術の進歩は人を不幸にすることもありますね。

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